番外 標本の作り方 −キノコその1−

佐久間 大輔


 日本の植物相は少なくともシダ・種子植物についはかなり良くわかっています.きちんとした標本があれば,帰化植物でもない限りまず同定することが可能です.一方で,キノコはまだまだ,その域には届きません.一般に「キノコ」と呼ばれるものの中で,シイタケやマツタケなどの柔らかい傘と柄を持ったキノコ,担子菌のハラタケ目と呼ばれるグループに限っても「現在までに日本から1000種あまり報告されているが,なお未知の種類がはなはだ多く,実在数はおそらく3000種を越えるものと推定される」と「原色日本新菌類図鑑」にコメントされています.サルノコシカケ類や腹菌類などはさらに同定は困難を究めます.1960年に本郷次雄さんがNatureStudyに書いた「キノコの採取と標本の作り方」でも「1/3位しか調べられていない」との記述が見えることからも,この状況は私が学芸員をやっている間ぐらいは続きそうです.

 キノコの分類が難しい理由の一つには「標本」も含め,記録の難しさでしょう.家庭で標本をつくろうとする場合には植物や昆虫に比べてやはり手間がかかります.出来上がりも変わり果てた姿で見栄えがしません.そのくせ保存が難しく,虫もカビも簡単につきます(私自身も学生時代の標本をだいぶダメにしました).それでも,キノコを知りたいと思う場合,標本づくりは有効です.できあがった標本自身よりも作る過程自身での観察と記録が役に立つでしょう.今回から2〜3回ぐらいかけてキノコの標本づくりを書いてみます.標本の作り方も例えば研究者によって流儀が少しずつ違い,ここで紹介するものも一番良いものとは言えないかもしれません.この連載はいわばたたき台のようなものにしようと思います.

1.博物館の標本

 大阪市立自然史博物館では今の所キノコの標本は乾燥標本としてつくっています.植物のさく葉標本にも使う大型の送風乾燥機でつくっています(右の図:テングタケ).完成品はいわば「干しシイタケ」の様な状態になるので,色や形はもとの状態と大きく変わってしまいます.しかし,それでも研究者にとっては形の特徴が押さえられ,胞子の顕微鏡観察も可能です.採集したキノコはそれぞれ小袋に入れられ,袋自身が仮のラベルとしてデータが書き込まれています.入れ替わらないようこのままの状態で乾かします(状態によっては袋の上にのせて乾かしています).送風乾燥機の温度は50度に設定しています.送風乾燥機を使うのは,水分の多いキノコを蒸らさずにすばやく乾かすためで,だいたいほぼ一晩で乾きます.

 乾燥したあとはラベルを付け,コケの標本と同様に紙折りにいれ標本庫で保管します.すぐに整理できず,標本庫に入れられない場合にはラベルを付け,中身が見えるチャック付きポリ袋で保管する場合もあります.重要なものはこのポリ袋の中にシリカゲルを入れます.

 博物館には植物の標本がだいたい25万点あります.でもキノコの標本は600点ぐらいしかありません.

菌類標本のお寒い現状は実は日本の自然史系博物館に共通した状況です.担当する学芸員が少ない(ほとんどいない)というのも大きな理由の一つですが,キノコ→分からない→放置される→標本が体系的にそろわない→分からないままという悪循環はどこかで断ち切らなければなりません.図鑑の充実していないキノコの場合には実物の標本がそろう,ということが非常に重要な意味を持ちます.既に名前のわかっている標本があれば,新しいキノコを手に入れたときに,比較検討をして調べることができるからです.ですから良い標本を集める,というのは重要な第一歩です.将来の分類学のためにも体系的な標本収集は非常に重要です.最近では平塚市立博物館が神奈川キノコの会と協力して標本目録を作成しています.大阪市立自然史博物館では今年,「関西菌類談話会」の協力を得て,かなりの数の標本をつくることができました.しかし,これらの標本も顕微鏡を使って確実な同定をしていないのでこれからが大変です.

 博物館の標本の作り方としては他にも液浸標本,凍結乾燥というやり方があります.液浸標本は瓶にアルコール付け,またはアルコールとホルマリン,氷酢酸を混ぜたFAAという保存液に浸けて保存するものです.長期間保存すると色が抜けて白や茶色になってしまいます.凍結乾燥はもとの状態に近い形・色が残るので良いのですが,手間がかかります.これについてはまた別の機会に詳しく書きます.

2.博物館の標本でも,みんなの標本でも共通すること

上でも少し書きましたがキノコの標本は何ともみすぼらしいものになってしまいます.ですから,キノコは標本にする前にしなければならないことがたくさんあります.

このあたりから少し書いてみましょう.

2−0.採集の道具

 キノコ取りにいく場合の道具は残念ながら博物館で売ってるフィールドノートにも書いてありません.でもだいたい,植物観察のかっこを参考にしてもらえば十分です.

重要な点は「防蚊対策」です.山の中でしゃがみ込んで観察をしようというのですから,蚊の対策なしではとても保ちません.長袖,蚊取り線香あるいは防虫スプレーは必須アイテムです.スプレーは肌の露出しているところだけでなく,ズボンやシャツにもかけておくと効果があります.それでも蚊はやってきます.覚悟も必要です.

 肝心の採集道具は,根掘り,もしくはナイフがあればいいでしょう.木材腐朽菌を専門に集める人はなたやノコギリ,地下生菌を集める人はスコップやくま手と,それぞれ目的にあわせて装備が変わります.採集したものを個別に入れる小さな紙袋か新聞紙を折ったもの(左図),採集品を運ぶための篭か手提げの紙袋が必要です.ビニール袋では蒸れてすぐにキノコがダメになります.小さな紙袋は包装用品の店に行けば売っていますが,手には入らない場合はこの図のような新聞紙を用意しておけばいいでしょう.手提げのかごや袋は形を壊さないで持って帰るためには重要です.ザックの中ではまず間違えなく壊れます.

2−1.おっと,そのキノコをとる前に−

 自分でもそうですが,キノコ狩りにいくとたいてい見つけたとたん,「お,キノコだ」とぱっと手を伸ばしてとってしまいます.でもそのあとで,生えているところを写真に撮っておけば良かったと後悔することは良くあります.ここは一つ,採集する前に少し観察をしてみましょう.キノコを見つけたら,まずそれを入れるための袋をおもむろに取り出します.袋の上にいろいろと記録するためです.ラベルをつくるときに便利なように日付と場所を書き込みます(何人かで行くときは採集者も)

.さらに生えている場所を記録します.周りの植生(アカマツ林,雑木林,芝生など,わかる程度で),生えている基質(生きている樹・枯れ木(どのくらい崩れているか)・落ち葉・土)などをしっかり見ておいてください.土の上に生えているといっても土の中に埋もれた木材や土の中の昆虫だったりもします.写真を撮る場合にはフィルムの何枚目かも袋の上に書いておくとあとで便利です.キノコは小さく,かつ林の下などくらい場合が多いので相当がんばらないと良い写真が撮れません.私はあまり教えられないので小学館の「検索入門キノコ図鑑」の後ろの方,もしくは同じく「キノコ刈り入門」に写真の取り方が詳しく載っていますのでそちらをご覧ください.後ろ向きなアドバイスとしては,生えている状態はあきらめ,明るいところで台の上に並べて特徴がわかるように撮った方がよっぽどいいとも思います.

2−2.堀取り方

 キノコをとる場合には必ず,根本からとりましょう.種類の特徴は根本にも良く出ます(根本が膨らんだり,「つぼ」があったり).植物と違いキノコは根元を残してもなんの意味もありません.キノコの周りに広がっている菌糸が重要な本体なのですから.採集し続けたらキノコが減るかどうか,ということに関しては良くわかっていません.10年間採集を続けても種数・発生量共に採集しなかった場所と比べて有意な差がなかったという研究例もあります(JANSEN,1991).いずれにせよ,採集するなら根本からきれいにとりましょう.枯れ木に生えるキノコの場合には生えている部分の木片ごととると,腐朽の仕方や樹種についての良い情報となります.

 こうして掘りとったものを先ほどの紙袋や新聞に包んで持ち帰ります.余裕があれば,その場で,下のような特徴の記録もしてください.

3.標本を作る前に

 標本をつくる前に,生でしかわからない情報を記録します.これがあるとないとではあとで調べるときに大違いですし,図鑑などで調べるときにも是非必要なことですのでがんばってみましょう.これがしっかりできれば標本よりも良くわかる記録にすらなり得ます.

3−1なるべく早い内に記録する必要があるもの.

 ここで書くのは是非その日の内にやっておきたいこと,冷蔵庫で一晩寝かすと分かりにくくなるものです.

@傘の表面の感触:傘の表面が濡めっとしている種類はベニタケ科・イグチ科・フウセンタケ科などかなりあります.こうした特徴の有無を確かめましょう.表面が乾いてしまっている場合は少し指先をぬらしてこすってみましょう.張り付くような感触があれば弱い粘性ありです.A変色:傷が付いたときにキノコが起こす色の変化です.傘の裏側のひだや管孔(編み目の部分)で良く見られますが,肉の部分の色の変化も重要です.これはたてに二つに割ったときに良くわかります.Bにおい:どんなにおいがするか,思ったように書きとめてください.においを表す言葉というのはなかなか難しいでしょうから図鑑でどんな言葉が使われているか見ておくのもいいでしょう.C味:ほんの少しでいいです.舌の上に載せて味を確かめてみてください.毒キノコでもこの程度ならなんの問題もありません.(念のために書いておきますが,毒キノコでさわってかぶれたり,胞子で病気になるという恐れはありません.菌糸が肺に生える病気は実在しますが,町中にも生えるスエヒロタケというごくありふれたキノコがきわめて例外的に起こすものです.毒キノコ一般はこうした病気に無関係です)Dその他:チチタケの仲間など傷を付けると乳液を出すものがあります.さらにこの乳液が変色する場合があります.乳液の味なども記録できればいうことありません.ベニタケの仲間などは,このほか薬品を使って変色性などを調べることもあります.詳細は図鑑などを見てください.

3−2.形や色の記録

 味やにおいほどではありませんが,色の記録も新鮮なうちに行う必要があります.色の記録は他の人が見てもわかるように,というのが大原則です.

 形の記録の方法として,効果的なのは断面図をスケッチする方法です.キノコをカッターナイフで縦に裂き,一方は断面を上に,もう片方は断面を下に伏せて並べてスケッチします.キノコを割ってしまうのはもったいないように思えるかもしれませんが,標本の価値としては変わりませんのでご安心を.むしろ割らないとわからないことも多いので,自分で少しキノコを勉強したいという人は是非縦に裂いて観察をしてください(割っておくと標本を分けて人にあげることもできます).

 断面のスケッチは肉の厚みやひだの傘や柄とのつながり方が良くわかります.ひだの色にも自然と眼がいきます.また,柄が中空になっていたり,柄の根本だけ肉の色が変わっていることに気がつく場合もあります.図鑑の絵がしばしば断面図で載っているのはこうした特徴を示すためなのです.伏せた方は傘の表面(溝や毛),柄の模様,つばやつぼの様子に気を付けて記録しましょう. スケッチは上手な絵でなくても,所々にコメントを書き込んで置けば特長がよくわかります.色も水彩画で描ける人は別として,無理なら絵の脇に「傘の中心部は赤紫,周囲は淡い赤」「柄は光沢のある白,下部に一部赤み」などと書き入れていくだけでもないよりよっぽど助けになります.さらに余裕があれば胞子紋もとってみましょう.胞子の色は自分で種類を調べるときに大きな参考になるはずです.胞子紋は切り取った傘を紙の上に伏せ,コップを上からかぶせ,一晩おいておきます.キノコの部分や形を示す用語は,たいてい図鑑の一番最初のあたりに書いてありますから参考にしてください.

4.家庭でのキノコの標本

 家庭でキノコの標本を作るのはめんどうかもしれません.液浸標本なら70%アルコールに漬けておくだけですから手軽ですが,場所をとって大変です.乾燥標本をつくる場合にはおおざっぱにいって1.自然乾燥2.シリカゲルを使う3.機械を使うのいずれかですが,小さなキノコの場合1・2どちらも比較的手軽です.天気さえよければ割と簡単に乾いてくれます.大きなキノコの場合はまず,先ほどの観察でしたように裂いてしまうことでだいぶ乾きやすくなります.それでも雨の時などはしばしば乾くより先に腐ったりカビたりしてしまいます.そうなると機械が頼りなのですが,大業としてはふとん乾燥機を使う方法があります.最近のふとん乾燥機には衣類が乾かせるものもあります.持ち運びできるので旅行にも使えます(宿の人が許してくれたら).タイマーがついていて,安全装置もありますし,温度も最高5〜60度程度のようなのでキノコを乾燥させるためには最適です(ヘアドライヤーは連続運転に向いていないので不可).普段ふとんを乾かすのに使っているものをそのまま使うと臭いが残りお母さんの怒りを買う事態となるでしょう.予備の袋を手に入れるか,乾燥ユニットを自作しましょう.キノコを紙袋から出し,乾燥機の袋の中に並べるやり方では3時間のタイマー一回でほぼ乾きました.2回でたいていのものは十分なようです.くれぐれも安全には気を付けて工夫してください.次回は,このふとん乾燥機の利用についてもう少し詳しく書きます.

 乾燥させたキノコは前述のようにチャック付きポリ袋でシリカゲルや(ゴンなどの)防虫剤と共に保管してください.これをさぼると日本の環境ではシバンムシとカビに確実におそわれます.同時に,標本は結構臭いがありますので,それをさけるためにもパックした方がいいでしょう.

 キノコの質問で,一番多いのが「食べられますか?」というものです.食欲は興味を持つ最大の動機付けですが,実はそれ以外の興味の持ちかたがあまり知られていないことの裏返しかもしれません.標本を作ってじっくり観察する習慣をつけると,いろいろと楽しむ方法も見つかるのではないでしょうか.

(さくまだいすけ:当館学芸員)


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